自衛隊で何を学ぶか

元脱サラ自衛官の気づき

自衛隊の風呂

 陸上自衛隊の駐屯地には新隊員や若年隊員を中心に、多くの隊員が生活をしています。そのため、駐屯地内には課業外の時間を過ごす「生活隊舎」と呼ばれる建物や、食堂や浴場といった施設が完備されています。どれも一般の人には興味深いと思いますが、今日はお風呂事情について書きたいと思います。

  

 新隊員にとってお風呂は憩いの場

 

 これまでにも度々書いている通り、入隊してすぐの前期教育期間中は、まさに分刻みのスケジュールです。どこの教育隊でも、68人が1つの営内班として編成され、各班には班長として若手陸曹(20代中盤~30歳前後の3等陸曹が中心)が、班付として営内に居住している陸士長(3年目以降の隊員)がそれぞれ配置され、新隊員の一挙手一投足に目を光らせます。そんな厳しい前期教育にあって、浴場は班長・班付の目が届かない数少ない場所の1つです。私が受けた教育隊の場合、浴場の混雑を避けるために新隊員がお風呂に入って良い時間が決められていました。その時間を守るためには、服を脱ぐ→体を洗う→湯船につかる→体を拭く→服を着る、という一連の動作を概ね1520分で済ませなければなりません。普通の生活からすると「短い!」と思われるかもしれませんが、私は「今日も1日終わったなぁ」と皆で笑いあったりしていました。前期の同期と会うと、この時間が教育隊で一番好きだった、と語る隊員は多いです。思い返せば色々な同期がいました。筋肉の発達具合を自慢する者、男の逸物を見せつける者、あるいはそれを頑なに隠す者。日本には「裸の付き合い」という言葉があるほどで、ここでの様々なコミュニケーションが営内班や区隊の団結を強めていたと思います。それは部隊に行ってもそうでしょうし、陸曹を目指す者ならば避けては通れない「陸曹教育隊」でも同じはずです。

 

*某駐屯地にて陸曹教育隊を通年間近で見ていた私からは、陸曹教育隊では湯船に浸かる時間すらない、ということだけここではお伝えしておきます。

 

一般隊員は風呂が嫌い?

 

 欧米では日常的に湯船にゆっくりと浸かる慣習はありませんし、何より他人の前で全裸になるということに大きな抵抗があるでしょう。かくいう私も部隊での生活に慣れ始めると、生活隊舎にあるシャワーで済ませるようになりました。理由は幾つかあり、その最たるものは「湯船のお湯が汚い」ということです。上述した通り、駐屯地の浴場は日中泥だらけになって訓練をする新隊員を始め、数百人近い隊員が使用します。もちろん湯船に浸かる前は体を洗うのですが、やはりこれだけの人数がいると湯船のお湯が汚くならないわけがありません。さらに脱衣所の床も濡れていたり、どこから抜け落ちたか分からない体毛が散乱していたり、目を覆いたくなる光景が広がっています。私も幾度か経験した「浴場当番」という係が毎日浴場を清掃するのですが、一度この係を経験した隊員はやはり駐屯地の浴場を使用したがらないと思います。

 

自己内省の場としての風呂

 

 しかし冬場になるとどうしても体の芯から温まりたくなるもので、私も再び駐屯地の浴場を利用するようになりました。そこでは仲の良い隊員同士で浴場に行き、風呂上りにジュースやアイスを楽しむ、といったどこか懐かしい姿を目にしました。このような光景を「微笑ましい」と見るか、「仕事が終わってもプライベートが無い」と見るか。

 

あなたはどちらでしょうか?

 

 駐屯地の浴場に行くようになって気づいたことがあります。それは浴場が閉まりかかる時間を見計らい、あえて一人の時間を浴場で過ごす隊員が少なからずいたことです。ある日、同じ部隊に所属していた同期(当時20歳)が大浴場で一人、湯船に浸かりながら思い耽っている姿を目にしました。中隊であまり目立つ方ではない彼は、小隊では「自分は首から下の人間」と体力しか取り柄がないことを自嘲していました。事実、彼は訓練の時には同期の中で一番「使える」と評され、先輩から可愛がられるタイプでもありました。私と彼は区隊は違うものの前期教育を共にした仲であり、後期教育ではベッドバディを組んだ間柄でした。

 

 そんな彼があの時何を考えていたかはわかりません。私に度々相談していた「自衛隊を続けるか否か」という事だったのかも知れません。仕事とプライベートがほとんど同一である自衛隊という環境にあって、「一人の時間」というのは本当に貴重です。自分から意図的に作り出さなければ存在しない、と言い切っても良いかもしれません。裏を返せばそれだけ人と人との関わり合いが多い、かつ濃密であり、コミュニケーション能力が求められるという事でもあります。自衛隊は肉体労働と思っている方が多いと思いますが、これは事実の一部でしかありません。私が1任期=2年間の自衛隊生活で思ったことは、自衛隊は感情労働である、ということです。詳しくはまた別の機会に書きたいと思います。

 

 私も彼に見倣い、人数の少ない駐屯地の浴場を自己内省の場として利用し始めました。今日はどんな1日であったか。自分は将来何がしたいのか。欧米社会では教会での懺悔が自己内省の場として知られていますが、日本には湯船に浸かる、という素晴らしい日常文化があります。そしてこれは心身の疲れを癒すというだけでなく、今日1日を振り返り、明日をどう生きるかという自己内省の場にもなると思うのです。

 

 私は自衛隊に入る前、会社員として都内で一人暮らしをしていました。間取り1Kの安アパートには湯船もしっかりと付いていたのですが、結局使用したことは一度もありませんでした。一人暮らしだと湯船に張るお湯がもったいないということもありますが、何より当時の私には湯船に浸かる程の精神的なゆとりがなかった、というのが正直なところです。しかし自衛隊での生活を経て、三十路が遠目に見える歳になり、最近は温泉旅館やスーパー銭湯で休日をゆっくり過ごすことの良さが分かるようになってきました。欧米人が夏になるとビーチに行き、かといって何をするわけでもなく、ただただゆっくり過ごすことに私たち日本人は疑問を抱きがちですが、日本でもスーパー銭湯に行けば同じような光景を見ることが出来ます。(ビーチと屋内、長期と1日限りという違いはありますが)

 

 余暇をどう過ごすかは私が常々考えていることですが、連続した休暇を取りづらい日本では、湯船に浸かることは数少ない欧米的な余暇の過ごし方*ではないかと思っています。一日中だらーっとし、生産的なことは何もしていないように見えて、実は思考の整理や今後の人生について考えている。そんなある意味「贅沢な」時間の過ごし方があっても良いのかもしれません。

 

*休暇を過ごす滞在先で何を楽しみにしているのか、との調査にバカンス好きのフランス人は「何もしない」「読書」と回答したそうです。

 

 

最近湯船に浸かっていない方、たまには近所の銭湯にでも行ってゆっくりしてみるのはいかがでしょうか?(のぼせ・湯あたりにはご注意ください。)

 

 

お読みいただきありがとうございます。

 

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